個人の幸せが実現する社会システムって?

今日は、私が小さい時から今に至るまで

ずっと関心を持ちつづけて来たことをシェアします。

私は小学校に入る前から、

人は集まったらどうしようもない

と考えていました。

というのも、1番身近な母が、父親の弟のお嫁さんに、よくいじめられていたのです。当時、父が建てた家にまだお風呂がなく、父の弟の家のお風呂を借りていた時に、母が入浴中にあからさまに電気を消されたり、何かにつけて小さい意地悪をされ、それを私の前で母はこぼしていました。

「ただ仲良くすればいいのに、なんで足をひっぱりあうんだろう。」

そして私は、母のやるせない思い、惨めでどうすることもできない心を、自分が救ってあげることができない悔しさを感じていました。

小学校5年で覚えているのは、社会科のテスト用紙に書かれている太郎さん花子さんのイラストとその考えていることについての吹き出しの内容を繋げる出題を見ながら

「人間の考えてることなんてくだらない。こんなこと考えても意味ない。」とそんな内容を試験してることにも失望し、人間不信が定着した上にさらに社会不信も育っていきました。

中学では、まったく生徒のことを理解しない教師に幻滅しながら表面は黙って周りに合わせている子供でした。

そして、中学2年の夏休みの宿題の読書感想文を書くために『黒い雨』という本を読んだとき始めて原爆を落とされた悲惨な現実に出会いました。

科学者が発見した知識をわざわざ莫大なお金をかけて大量殺戮兵器にして、

大量殺人を起こして正当化する。

おまけに平和をつくるには核の抑止力が必要だという論理で、先進各国が核兵器を国ぐるみで開発し続け数も増やし続けている。

どう考えても理解できない。この人間たちはバカなのか。

科学者の知的好奇心もエゴなのか。

私もこんな人間の一員として、こんな人間の現状をどうすることもできない自分を否定し、

どうやって生きていったらいいかわからない不安感で、体調まで崩していきます。

高校では、社会経験もない段階で学部選択など将来の選択を決めなくてはならない非現実なキャリア教育システムに幻滅。

皆んなは「仕方ないじゃん」と頑張ってるから1人で反抗するわけにもいかない。

父の勧めに従って薬学部に入り公立病院に新卒で入ってしばらくすると、三種混合ワクチンの重度の副作用を厚生省と製薬会社が結託してもみ消そうとしていたことが発覚した事件が起こります。

「これはかなり黒いぞ!」

と、お金の流れを観察しながらさらに社会不信とそれをやり続けている人間を不信しました。

転職して証券会社の診療所に入り、そこでは大学病院の教授も来てメンタルヘルスの先駆け的な取り組みをしていましたが、結局

人間一人ひとりはいい人でも、組織システムの中では身動きがとれない。

『個人の変化』と『組織や社会システムの変化』、この両輪それぞれに明確な解決策が必要だと思い、必ず答えがあるはず!と

学会を探したがアカデミックの範囲でも限界、精神世界も見て客観性に限界を感じていた時に、友人から

紹介された勧められたイベントに参加してみました。

そこで、初めて

これまでの時代をどう整理して、ここからの時代をどう観てどうしていくのがいいか

希望の答えに出会ったのです。

長くなったので、つづきはまた次回へ。

ありがとうございます^^